看護師 求人の重大な選択
臨床で治療成績を出すには、長い期間を要します。
論文数が稼げない。
これに対して、動物実験でできる基礎研究は短時間でできる。
従って、論文数が稼げます。
試験管内での系で実験するともっと稼げます。
さらに、臨床系の専門雑誌よりも基礎医学の専門雑誌の方が、インパクト・ファクターが大きい。
私は、臨床医が有名な科学雑誌『ネイチャー』や『サイエンス』に論文を発表することを求められているとは思いません。
実際には、臨床の教授になるにも、インパクト・ファクターを稼ぐために、基礎研究の論文を多く書く必要があります。
臨床医学系の教授でも実際の臨床経験が乏しいことはよくある。
「手術ができない外科教授」は、決してめずらしくないのです。
彼らにとっての日常の目的は、現実の患者ではなく、インパクト・ファクターという仮想現実になっています。
退官するときに、インパクト・ファクターの数字が書き込まれた自分の論文目録を配布する教授がいて、唖然としたことがあります。
大学院は責任感を希薄にする医学部に入ると六年間の教育を受けますが、医師を育成するための重要な教育が不足しています。
文学、歴史、哲学、思想史といった思索を深めるような教養課目は二の次で、専門教育に偏りすぎています。
指導的医師になるためには、知性、教養が不可欠です。
現在のような医療混乱期に、指導的医師に求められる能力は、医学部での教育では得られません。
教養教育が重要だと思いますが、必ずしも、大学で直接教える必要はありません。
イギリスの大学生は入学資格を得ると、一年間大学に行かずに世界を旅して回ることが許されるそうです。
若い時期には人間としての基礎、土台をつくるために、こうした精神的放浪も必要なのだと思います。
私が大学に入学した当時は、大学紛争のために、一年以上、授業がありませんでした。
この時期に、大量の本を読み、映画を観て、安酒を飲んでは友人と議論していました。
紛争の中で、独立した人間であるために、自分が考えることの由来を考えて、過去に遡ってでも変な影響を排除したい、自分が考えていることを自分の責任で決定したいと思うようになりました。
これは、実に大変なことでした。
私は、教養学部から医学部に進学しても、あまり熱心な学生ではありませんでした。
従来の読書に、年間七十日から八十日の登山が加わりました。
私はこれを後悔していません。
むしろ良かったと思っています。
そもそも医学部での教育があまりに詰め込みに偏っていました。
骨格となる医学的事実を知り、医学上の正しさを決める方法、議論をする方法、多少の英語読解力と文献を調べる能力さえ身につければよいのです。
医師になってから、症例を丁寧にみて、ごまかさずに勉強していれば、そこそこの医師になれます。
現在の医師国家試験は基本的に記憶量を測定するものですが、医学の進歩は早く、正しかったはずの情報もすぐに入れ替わる。
極端な言い方ですが、成績の上位二~三パーセントに入ることは、それだけで将来の指導者たる資質がないとさえ思います。
ひたすらに記憶量を増やす努力を続けられるということは、何が重要かを自分で判断する能力がないためではないでしょうか。
学部を卒業すると、医師としての初期研修を受けます。
大学院に進むのは、卒業して数年たってからです。
医学部には修士課程はありません。
四年におよぶ博士課程です。
将来、教授や助教授になるためには学位が必要です。
そのような意図を持たないにもかかわらず、周囲に流されてなんとなく大学院に入る医師も多くいます。
たいてい年齢的には三十歳を超えていますから、妻子を抱えて授業料を払っての進学です。
大学院では基礎研究が中心で、院生はアルバイトで生計を立てながら研究生活を送ります。
大学院を終えると、野心的な医師なら二、三年欧米へ留学して基礎研究を続けます。
しかし、外科系の医師が三十代に六年も七年も臨床から離れるのは致命的です。
三十代も半ば過ぎると、いくら下手でも誰も手術を教えてくれなくなるし、普通のレベルに追いつくことさえ難しくなるのです。
私自身、博士号を持っていますが大学院は出ていません。
一般病院で臨床医として働きながら、大学外の施設で研究に携わりました。
夜と週末を研究に使っていましたので、ミッドナイト・アンド・ウィークエンド・サイエンティストと自称していました。
外国の専門雑誌に投稿して掲載された論文で学位を得ましたが、この間も、同年代の泌尿器科医の中では、難手術を最も多くこなしていたという自負があります。
その後、研究での外国留学の話が何回かありましたが、基礎研究のための留学が、臨床を一流レベルに保つのに妨げになると考えていずれも断りました。
この方針は間違っていなかったと思います。
大学院制度は、臨床医としての技量の低下にとどまらず、医師としての責任感を希薄にします。
学費と生活のためのアルバイト診療では、患者としっかり向き合うことはできませんし、どうしてもその場しのぎになってしまう。
また、医局によっては、大学院を修了して学位を得ると人事上、優遇されます。
それは医師としての能力とは全く関係ないのです。
基礎研究の学位で、臨床医としてのポジションを得るということが、人事の論理をゆがめ、ひいては医師としての責任感にまで影響を与えるように思います。
医局制度の落とし穴以前から、私は大学の医局制度について強く異を唱えてきました。
簡単に説明すると、医局は、大学の一つの教室の構成員と出身者による団体で、自然発生的な運命共同体であり、対外的には人事システムとして機能しています。
病院が医師を必要とするとき、病院長は大学の医局に医師の派遣を要請しますが、同時にあちらこちらの医局に頼むことはできません。
個人を指定できるわけではなく、人事権はほぼ完全に医局にゆだねられます。
医局は専門医教育も担っています。
しかし、医局の運命共同体としての性質、すなわち組織の維持、自己増殖が、教育よりも優先されるので、勢力を維持するために、研修には役に立たないような小さな病院にも若い医師を強制的に派遣します。
運命共同体としての医局の内部規範は、現代社会で正しいとされる考え方と一致しません。
大学病院で現代社会に適応した倫理規範をつくろうとしても、しばしば医局がそれを阻害してしまうのです。
確かに封建的ですが、小説やドラマで描かれるような専制君主として横暴のかぎりをつくす教授ばかりというわけではありません。
どちらかというと「むらおさ」のような立場が多い。
すべてを支配するわけではないが、重要な人事権は手放さない。
医局員は、自分の意見を述べることは許されますが、いかに理不尽でも最終決定には従わなくてはならないのです。
それぞれの医局は、後で述べる戦国時代の村のようなものなので、構成員の生存の保証(職の保証)が組織の大きな主題です。
この主題は必然的に医局に排他性を求めます。
このため、他の医局と交流がなくなります。
医局といっても、それほど規模が大きいわけではないし、ひとつの医局の中にあらゆる領域の専門家がいるわけでもありません。
それでもやはり医局外の医師に手術を教えてもらったり、患者を送ったりするのは裏切り行為とみなされます。
そのため、大学病院ではしばしば実力を超えた無理な手術が実施されます。
大学病院で診療の中心になっているのは若い病棟医長ですが、人事交代が早くて、経験は蓄積されない。
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